・・・・・・っということで、ある女性のブログを欠かさず読んでいる。
その子は、ペタの機能を停止しているので、私が読んでいることさえも知らないだろう。
いつ、なんでそのブログに行き当たったのか、まったく覚えていない。
なぜか気になるのである。
その理由は、彼女が深刻な悩みを持っていて、自分の悩みを正直に書いているからだろう。
ご覧の通り、私のブログはヒネている。
ウソは書かない主義だが、かなり脚色している。
それとは反対に、彼女の書く内容は、全然ひねっていない、ストレート球ばかりだ。
悩みというのは、心に関する問題である。
なかなか難しい問題だが、読んでいくうちにどうもその原因が家庭にあり、それも父親が大きな要因を占めている
らしいことが分かってくる。
その女性も、ちょうど私の娘と同じくらいの歳なので、ついつい父親としての自分と重ね合わせて考えてしまう。
正直に悩みを打ち明けて書いているといっても、洗いざらい書くようなことはしていない。
その辺の節度はきちんと保たれている。
それでも、ひどく気持ちが落ち込んでいるときなどは、心の叫びが伝わってくる。
そういう時期は、私も気が気ではなくなる。
知らず知らずのうちに、その子と心がシンクロしてしまっている。
そんなときは、何かアドバイスしなければという気持ちになってしまう。
いままでに、何度途中まで書いてそのまま送らずにしてしまったことだろう。
確かに、私は父親と同じ位の歳だが、実際のことは何一つ知らないに等しい。
例えば、家庭内暴力。
そんなことがあることを知識として持っているが、そんなことをする親など想像も出来ない。
娘を愛していない父親などもそうである。
まったく信じられない。
ましてや、心の問題である。
いくら興味を持っているといっても、浅い知識でめったなことは書けない。
アドバイスのつもりでも、まったく的外れで、逆に心を傷つけてしまう恐れも十分にある。
だからといって、当たり障りのことを書いても意味がない。
どんな父親でも、赤ん坊のときにオムツを替えたことの無い父親なんていない。
懐に抱っこして、泣き止むまで廊下を何度も往復したはずだ。
だからこそ、その子が大人になった今でも、父親に抱きしめて欲しいときはそう言うべきだと思う。
どんな娘でも、父親に愛してもらう権利を持っている。
父親と対決して、その権利を主張すべきだ。
・・・・・・っと、
彼女に言いたいのはこのことなのだが・・・・・・
end.
0 件のコメント:
コメントを投稿