・・・・・・っということで、秋の夜長。
普段は考えないことを考えている自分が居ます・・・。
ぼくは、長男です。
だから、父親vs息子という図式は分かっているつもりです。
でも、父親vs娘という図式は分からない。
イヤ、娘からの視点では、分からないと言ったほうが正確でしょう。
親からの視点では分かる。
なんたって、二人の娘の父親ですから。(;^ω^A
この辺の男の心理というのは、女性にはタブン分からないと思うんですけど、
父親と息子は、ライバル意識が働くんですよ。
宿命として。
いいですか?
宿命として、息子はオヤジを乗り越えなければならない。
オヤジを乗り越えられない息子は、男としてダメな男なんです。
そのことを父親も知っているし、息子も知っている。
こんな関係は、男にとって常識なのです。
父親として、息子が自分を乗り越えることを望んでいる。
でも、乗り越えられてたまるか、という意識も同時に持っている。
・・・・・
家庭の中では、オヤジが主(あるじ)です。
息子が成長して、オヤジを乗り越えるようになったら、
あるいは、乗り越える資質を発揮しだしたら、
息子はその家を出なきゃならんのです。
ナゼなら、ボスは二人必要ないからです。
・・・・・・
実は、最後は息子が勝つように出来ているのです。
父親と息子が争ったとき、父親のほうが頭がズット良いケースはザラにあるのです。
息子が会社で出世できず、父親の地位以下の肩書きで定年を迎えることだって、いくらでもあるのです。
でも、父親は歳をとると体力が落ちる。
結局は、息子に(どんな馬鹿な息子でも)体力で負けるのです。
そうすると、最後には息子に負けるのです。
そういう風に出来ているのです。世の中は。
そういう息子を見て、父親は安心するのです。
ようやく、このバカ息子もオレを乗り越えたんだと。
そう分かった後の人生は、そりゃ気楽なものです。
・・・・・・
この気楽になる時点が早いか遅いかは、その息子の出来にかかっているのですがね。
・・・・・・
ようやく、ここから本題です。
こんなぼくでも、父親vs娘が分からない。
娘が父親を乗り越える????
この発想自体が生まれない。
私のような息子がいない父親は、戦う相手が居ない。
戦いに負けて、安心する境地を経験できない。
息子と戦うことを考えると、ウザイ気持ちがあるけれど、戦うチャンスが与えられなかったことは、
正直言って、心残りです。自分の人生として。
こういう、息子と戦うチャンスが与えられなかったぼくのような父親はどうなるか?
娘を見守るしかないのです。
ナゼって、何を言っても理解されないし、自分も理解できないから。
娘の幸せを祈るだけです。
ただそれだけ。
・・・・・
でも、世の中には勘違いな父親も居る。
自分の娘を息子と同じように扱う父親が居る。
ぼくからすれば、ものすごい勘違い男なんですけれど、
たまに居るんですね。
娘に向って、オレを乗り越えてみろ・・・・っていう父親。
アンタの家庭におけるボスの立場を脅かす対抗馬なんて、いやしませんぜ。
でも、動物的本能なんですね。そういう男の。
・・・・・
もし、ぼくがこのような態度を家庭で取ったなら、
二人の娘はもちろんのこと、カミサンも相手にしないでしょうね。
なんたって、口じゃ勝てないですもの。
だから、ぼくには選択肢がないのです。
酒飲みの、バカオヤジを装うことしかないのです。
・・・・・
それでも、男の威厳を保とうとするなら、悲劇でしょうね。
そして、それが当然だと刷り込まれてしまった娘やカミサンにとって。
・・・・・・
届きました?
以上、ある特定の人に向けたメッセージでした。
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