・・・・・っということで、「つづく」と書きながら、そのまま続かない文章がかなりあるなぁ。
そんなのが幾つあるのか、自分でも忘れてしまった。
それと、続けるつもりだったのに、その先を忘れたってぇのも多いんですがね。
さて、最近書いた「負のエネルギー」のつづき。
人間を行動に駆り立てるものは、
1)持って生まれたエネルギー:
才能なんかを言っているつもりなんです。
2)身に付けたエネルギー:
勉強や、努力によって勝ち取った、知識とか、能力を言っているんです。
これらは、プラスのエネルギーっと言ってもいいと思うんです。
この考えは分かりやすい。
ぼくは、これにもう一つ、
3)マイナスのエネルギーがあると思うんです。
行動に駆り立てるエネルギーとして。
ここで、チョット飛躍しちゃいますけど、宗教活動を例に挙げて見ます。
キリスト教徒か、回教徒はプラスのエネルギーを持って、布教活動をすると思うんです。
自分は正しい価値観を持っていると信じている彼らは、
それを布教(押し付けといってもいいかな?)するのに、ものすごいプラスのエネルギーを使う。
そうすると、宗教活動はプラスのエネルギーと言っても良いだろうが、
マイナスのエネルギーを使った宗教活動もある。
これを信じないと、あなたは不幸になりますよ・・・ってぇヤツです。
人の不安、即ち今の生活レベルをマイナスと捉え、そのエネルギーを使うもの。
仏教なんか、これに近いかもしれない。
もう一つの例として、政治活動を考えてみる。
古くはアレキサンダー大王の遠征や、チンギス・ハーンによるモンゴル帝国の拡大、
これらなんかは、彼らのプラスのエネルギーによって成された方に分類されてもいいかもしれない。
でも、ヒトラーの第三帝国の妄想については、マイナスのエネルギーによって成されたのじゃないかな。
ボヘミアの伍長と言われていたチビのヒトラーが、その劣等感を持っていたからこそ、
あれ程の狂気を成し遂げたと言えないだろうか。
(どこかの北の独裁者もそうかもしれない。)
こういった目で、日本の政治家達を眺めてみるのも、面白いかもしれない。
彼らが、持って生まれた才能と、理想を持って政治家になったのか。
それとも、貧しい環境から、見返してやろうという、負のエネルギーを使ったのか。
・・・・・・・・ってなことを、いろいろ考えてみました。
ぼくの書いた「負のエネルギー」については、理論的には穴だらけなのは知っています。
でも、こういう視点というのは面白いんじゃないですか?
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