・・・・・・っということで、ぼくは最近、形から入るっていうのは、あんがい大事だと思うようになった。
孔子と「礼」は切り離せないですよね。
この礼については、色々な解釈があるかもしれないが、狭い意味では「形」なんじゃないかな。
「礼儀」とか「礼節」は要するにマナーということですよね。
それ以外に、孔子は「楽」というのも重んじた。
「礼楽」の楽なんだけれど、これは礼節と音楽という意味。
音楽は式典につき物で、これもやはり形ですよね。
これに対して、「道」というスピリチュアルな面を重んじる老子は、形を大事にする孔子を、ちょっと馬鹿にしましたよね。
ぼくも「形式ばる」のは好きじゃないですからね。
でも、この形っていうのが出来上がるまでには、長い時間を要したのは確かですよね。
いわば、最初は試行錯誤があったのだろうけれど、最後は一番シンプルな形に落ち着いたはずなんです。
その過程で、本当の意味が見えなくなって、形だけ残った。
だから、形だけ見ると、逆にムダに見えるんです。
そうじゃなくて、本当は合理的だと気付くべきなんですね。
形を説明するのに、囲碁の定石、空手を含め色々な武術の形、軍隊の規則を持ち出せば分かりやすい。
・・・・・・
人と接する場合の立ち振る舞いが洗練されていると、気持ちいいですよね。
要するに、マナーを身につけた人は、何かと得をしますよね。
絶対に損はしない。
ぼくが今回言いたいのは、世の中には色々な「形式」があるけれど、それを頭から否定しちゃいけないってこと。
その形を無視したり、知らなかったりするのは、本人にとって物凄く損なことだということ。
最近、こういう「形」を無駄なものと考える風潮が、日本では強まってきたように見える。
教育についても、政治についても、会社の世界でも、きちんと形を持った人が少なくなった。
イギリスを見ると、逆に形を物凄く大事にしている。
日本にも、たくさんの形があるけれど、もう一度それらの価値を見直す必要があるのじゃないかな。
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