2009年8月26日水曜日

運命について

・・・・・・っということで、老人の特権として、自分の人生を振り返ってみる。

いま現在、ここにある自分は、全て自分が選んだ結果だと思う。

いやそうじゃない、それは「運命」だったんだという人も居る。

ぼくも人生において、これは「運命」だったとおもわれるような局面をいくつも経験してきた。

だけれども、その事象を良く考えてみると、自分が選んだ結果生じたと思わざるを得ないのです。

その選択を、自分が意識していたか、無意識だったかに関わらず。

ぼくの送ってきた人生は、自分が選択した人生だったのです。

それでも運命論者は言うだろう。

例えば癌にかかった人は、自分が癌を選択したのではないと。

確かにそれは運命だったのかなとも思う。

でも、肺癌にかかった人が、タバコ愛好家だったとすれば、それはある意味自分が選択したんじゃないかな。

ぼくは、いま高血圧症と肝臓機能障害だけれど、酒を飲むのを控えれば、あっという間にノーマル値になることを知っている。

さらに、運命論者は言うだろう。

交通事故はどうなのだと。

その道を行くことを選んだのは自分だとか、その飛行機を予約したのは自分だとか言うんじゃないだろうねと。

ぼくは、そんなことまで自分が選択した結果だとは言わない。

それは、【事故】だったと言いたい。

空から、隕石が落ちてきて、運悪く頭に当たって死んでしまったのは、運命と言うより事故だったのだと。

何でそう考えるかというと、癌にかかったのは例え運命だったとしても、そこから先の生き方は自分の選択によって大きく変わるからだ。

癌と闘う人も居るだろう。

それより、余命を安楽に過ごしたいと思う人も居るだろう。

・・・・・・

じゃあ、自分が選択した結果としての現在を、ぼくは満足しているのかと問われるだろう。

権力欲(出世欲)としては不満足だろう。

だが、権力は更なる権力を求め、権力は必ず不正に繋がるということをぼくは「知っている」。

物欲(金銭欲)についても、不十分だろう。

だが、金を持てば更なる金を求め、そのことが知性を曇らせることもぼくは「知っている」。

負け惜しみを言っているかもしれないが、無意識にそう思うのがぼくの個性なのである。

・・・・・・

きょう、ぼくが言いたいことは分かってもらえると思う。

あまりにも、人々は【運命】のせいにしてしまうのじゃないかな?

いまの自分の現状を、他に責任転嫁しすぎるんじゃないかな?

・・・・・・っということでした。(^O^)/



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