・・・・・・っということで、私はほとんど何でも食べるが、サーモンの刺身だけはパスする。
アメリカで生活していたとき、しょっちゅう寿司屋に行っていたのだが、必ずサーモンの刺身が付いた。
一番安くて、手に入りやすい素材だから仕方ないが。
嫌いじゃなかったのだが、もう人生で食べる量をオーバーしてしまった。
人間というものは、自分の中に色々な大きさの器があって、
それぞれに容量が決められていて、
それを超えると溢れてしまうんじゃないかなと思う。
たまたま、私のサーモンという器の許容量が一杯になってしまったと考えるワケ。
さて、愛についてもそうなんじゃないかな?
・・・・・・また、藪から棒ですが。
大人になるまでに、心の中には色々な愛の器があって、子供のうちにそれぞれが満たされていく。
一番大きいのは、「母の愛」の器。
それよりはずっと小さいけれど、「父の愛」の器っていうのもある。
他にもいろんな大きさの器があって、
それは「友達の愛」だとか、「近所の人たちの愛」とか・・・。
その器が、バランスよく満たされて成長すると、心のバランスも取れた人間になるのだと思う。
しかし、世の中にはその「愛の器」の一つが極端に、満たされずに大人になる人もいる。
私が言いたいのは、「父の愛」の器である。
私の娘達が小さいときは、もう溺愛して育てた。
だから、いま私が娘達から冷たくあしらわれているのは、
十分に彼女達の「父の愛」の器は満たされている状態だと考える。
無理にでも、そう考えることにする。
・・・・・・
さて、色んなブログを読んでいると、「父の愛」が足りなかったことが原因で、
悩んでいる多くの女性達がいることを知った。
そういう人たちは、父親の愛が多少ではなくて、極端に少ないことを知って愕然とする。
そのために心のバランスを崩してしまったのだ。
でも、色んな理由で父親がいない状態で育った人は、世の中にたくさんいる。
そういう人たちが必ず心のバランスを崩し、悩んでいるとは限らないというのも事実である。
・・・・・・
この心の「愛の器」は、大人になってからあとでも満たすことが出来るのであろうか。
いくつかの器は出来るかもしれないが、「父親の愛」の器は出来ないような気がする。
人は無意識に、足りない愛の器を満たそうと努力するものなんです。
例えば、恋人に、他の男性に、そして夫にそれを求めるのです。
でも、その父の器を満たすことが出来るのは、父親しかいないのです。
キツイ言い方かも知れませんが、バランスを崩したまま生きるしかないのです。
もう大人なのですから。
そういう希望は、キッパリ諦めるしかないのです。
マグロの刺身を食べたい人は、サーモンの刺身で代用はできないのです。
・・・・・・
そうは言っても、そういう悩みを抱えた人たちのブログを読んでいると辛い。
行間から、助けを求める声が聞こえる。
「私には愛が必要だ」と。
そして、いろいろな人がアドバイスをする。
励ましのコメントを書く。
私も、もちろん書く。
今もこうやって書いている。
でも、もし、私が今述べたことを理解してくれるなら、次にすることは気付くはずだ。
いや、気付いて欲しい。
それは、愛を与える側に回るのです。
変な言い方かも知れませんが、犬に愛を与えるように。
犬に愛を与えられるなら、人間にだって与えられるはずです。
与える側の愛には、容器はない。
こちらは、足りなくなることはない。
・・・・・・
両親が早く離婚してしまって、母親だけに育てられた女性を知っています。
とても素敵な女性です。
こんな話しをしたこともないし、するつもりもないけど、
その人は多分、私の言うことをとても理解してくれると思います。
タブン。
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