2010年1月1日金曜日

コミュニケーションについて

・・・・・・っということで、正月早々ややこしいことを考えています。

一昔に比べたら、通信手段は驚くほど発達しましたよね。

今メールといったら、手紙のことじゃないですよね。

電話といったら、携帯電話で、固定電話のことじゃないですよね。

このブログもコミュニケーション手段とも考えられる。

個人の書いたものを、不特定多数に発信し、その読者からコメントをもらうなんて、

新聞記者か、雑誌の記者しかできなかったことですよね。

・・・・・・

でも、通信手段は格段に進歩したけれど、本当のコミュニケーションは退化しているんじゃないかと感じているのです。

手紙を書くのって、それなりの覚悟がいりますよね。

書くためには時間がかかるし、文字だって気合を入れないといけない。

それだけ文面に、込める意味というものは、メールと比較にならない。

相手に届くまでの時間、相手の反応をあれこれ思いを巡らすことだってある。

返事が届くまでの時間、心ときめくことだってありますよね。

そういう、覚悟なり、気合なり、込める意味合いなり、ときめきなり、

そういう時間が心に与える効果って大事だと思いませんか?

そういう心への刺激って、心を豊かにするんじゃないでしょうか?

でも、メールだとそういう効果は少ない。

ただただ、便利だけれど。

だから、ラブレターをメールで書くことには多分、将来においてもないと思う。

・・・・・・

一方、電話はどうでしょう?

昔は電話をかけるといったら、固定電話、すなわち相手の自宅ですよね。

電話をかけるには、それなりの【作法】が必要だった。

本人が出るとは限らない。

電話を取り次いでもらうためには、相手の家族と「まともな言葉で」挨拶ができなければならない。

今はどうでしょう?

携帯は、最初から本人しか出ないのが分かっている。

掛けたり受けたりするときは、どこにいようがお構いなしだ。

極端な例、トイレの中でも会話できる。

作法なんて入り込む余地がない。

・・・・・・

でも、本当のコミュニケーションはできているのだろうか。

コミュニケーションとは、相手と自分の意思なり、考えなり、気分なり、気持ちなり、

キチンと伝え合えられて、はじめて成り立つものでしょ。

でも、メールや携帯電話で本当の気持ちが伝わるでしょうか?

何となく、十分伝わらないと、本当は皆、薄々感じているんじゃないですか?

不完全なコミュニケーション手段と知っているから、

伝えようとするする意思も、なんとなく手加減しているんじゃないでしょうか。

だから、会話が軽くなる。

・・・・・・

やはり、一番濃密なコミュニケーションとは、直接会って会話することでしょう?

相手の表情やしぐさを見、目の動きを見、生の声を聞く、

これらから得られる情報って、ものすごく大事だと思うんです。

本当の気持ちを伝えるには、会うのが一番でしょう。

大事なことを伝えるなら、なおさら会うべきでしょう。

・・・・・・

昔と比べて、何倍も文字でやり取りする。

昔と比べて、何倍も電話で会話する。

でも、本当の意味でのコミュニケーションって、退化しているんじゃないですか?

相手の気持ちが、ますます分かりにくくなっていませんか?


・・・・・・ってなことを考えたのです。

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