2010年1月10日日曜日

欧米至上主義

・・・・・・っということで、世界は欧米上位で進んでいる。

平易に言えば「白人が威張っていて、有色人種はヘーコラしている」。

外見でも、彼らのほうが体格が良く、押し出しも堂々として、立派に見える。

彼らと相対すると、なぜか下手に出てしまう。

よく考えると、これは良くない。

・・・・・

ここから、展開するバリエーションはいくらでもある。

ぼくが今回書きたいのは、歴史的に見てなぜそうなったかということ。

ちょっとばかり、ぼくには荷が重いテーマですね。

じゃあ、始めますよ。

・・・・・・

欧米優位になった転換期は、やはりルネッサンスだったと思う。

それまでは、アラブも、東洋も、ドッコイドッコイだったはずだ。

科学においても、商業においても。

ルネッサンスで何が変わったか?

国家というものが明確な形になったのじゃないかな。

それまで国家とは、王なり、君主なりが天命(キリスト教もイスラム教も)によって付与された権利。

そのお墨付きによって統治されてきた。

もちろん力が強いものがその権利を持つということで、天命は後付の理由なのだが。

ここからの展開もたくさんあるが、ぼくは戦争のやり方が変わったことに着目したい。

変えたのは、ナポレオンである。

それまでヨーロッパは長い間、兵隊は君主が持つプロの兵隊たちだった。

いわゆる傭兵が主体だったんですね。

我が愛するマキャベリも、市民による軍隊の創設を提案していたが、上手くいかなかった。

成功させたのがナポレオンだ。

彼の軍隊は国民皆兵だったのだ。

それまでの傭兵は、給料さえもらえれば良かったのだから、真面目に戦争しなかった。

ところが、ナポレオンの軍隊は、本当に敵を殺す軍隊だったのだ。

当時のフランスは覇権主義だったから、ドンドン隣国に戦争を仕掛け、その分戦死者も半端じゃなかった。

兵力を補充するのに、一般市民を使ったのである。

・・・・・

だんだん分かってきました?

市民が命を差し出すには、それだけの価値のある国家をどうしても意識せざるを得なくなる。

それまで、国家というものはあったじゃないかと言われるかも知れない。

だが、その国家は市民参加型ではなく、市民は被支配者としての地位しか与えられていなかった。

一般市民が国家の一員であるという認識は、フランス革命の前に国民皆兵という制度があったから生まれたのだと信じている。

このあと、国家というものをいち早く認識したことが、欧米人がその後優位に立ったという展開に持っていきたいのだが・・・。

・・・・たぶん、つづく。

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