2010年1月13日水曜日

【生きる術(すべ)】

・・・・・・っということで、生きる術(すべ)を学ぶっていうこと。

人間にとって、一番学ばなければいけないのが、【生きる術(すべ)】じゃないかな?

学校の教育だって、家庭教育だって、子供に教えなければならない最低限のことは、この生きる術でしょう。

ところが、この根本的なことを理解していない大人って、日本に多いんじゃないだろうか。

理解しないまま、一生を終える人だっている。

理解しなくても、生きられる社会になったからだ。

生きる術というものは、動物を例に取れば分かりやすい。

動物達は、子離れというものを残酷なまでに行う。

子離れした後、子供が死んでも、それは親の責任外のことだから。

だから、子供を放り出す前に親は【生きる術】を徹底的に教え込む。

・・・・・・

だが、いまの日本において、これがきちんと為されているだろうか?

動物と比べて、人間社会はずっと複雑である。

であるから故、この基本的なことが見えなくなっている。

生きる術は説明するまでも無く、【一人で生きていける能力】である。

この能力の中には、【自分で働いて食っていけること】ももちろんあるが、【人間社会の中で調和をとる能力】も含まれる。

だから、人間が生きる術を身に付けるまでには、長い年月が必要になる。

もちろん、教育によって【豊かな人生を送る】術を身に付けることも大事だ。

そうすると、いきおい教育は複雑なものになる。

・・・・・・

なんでこんな話しを藪から棒に始めたかというと、生きる術(すべ)を持っていないのに、

「生きる価値は」とか、「自分探し」とか、「普通の幸せって」とか、

はたまた、「死にたい」とか、安易に口にしているのじゃないかなと思ったんです。

そんなこと、まず【生きる術】を身に付けているという前提があって初めて言える言葉でしょう。

・・・・・・

世界中には、そんなことを言う以前に、先ず生きることに必死な人が溢れている。

彼らにとって、学校というところは、生きる術を学ぶ切実な場所でしょう?

日本では、それがボケてしまっている。

本当は親とか社会に食わせてもらっているのに、自分の【生きる術】は置き去りにしている。

そういう生活を一生送れるのは、昔はホンの一部の大金持ちのボンボンくらいしか居なかったはずだ。

以前は、中学や高校を卒業して、自立する道を当たり前のように選択していた。

だが、いままでは何となく勘違いしたまま大人になって、何となく生きていけたのだけれど、

この厳しい時代になって、親も、社会もそういう生き方をする人たちを支えきれなくなった。

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成人式で、壇上に上がって大騒ぎをするような「成人」のニュースを見るたびに、暗澹たる気持ちになる。

オメーラ、そんなことやりたいなら、生きる術を身に付けてからにしろよっ!!






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