2008年5月1日木曜日

Fakeの時代

・・・・・っということで、水曜日はクラブの定休日なので、フィットネスネタのインスピレーションが浮かばない。

また始まったよ・・・・・っと思われるのは承知で、思いついたままを書いてみます。
本人も、KYを自認していますので、ご勘弁を。

100年後の人たちが、今の時代を振り返ってどういう評価をするのだろう・・・・・っと、考えた。

まあ、ソ連の崩壊に続き、アメリカ一国覇権の野望が9/11を境にして脆くも崩れ去った時代。
テロの恐怖に支配された時代。
一党独裁の中国が急速に脅威になった時代。
エネルギー枯渇が本気で認識され始めた最初の時代。
パソコンの普及に伴うインターネット時代。
・・・・・などなど。
どれをとっても、歴史的な大変革の時代に我々は生きていると思う。

100年後の人たちから見ると、我々は大変な時代に生きていたのだろうなと思うに違いない。

だが、その大変な時代に生きているはずの我々にその認識は薄い。
唯々、日々の生活を淡々と送っているだけである。

歴史の視点から時代を分析するなんて、そんな大それたことをする力量は私にはないし、そうするつもりもまったくない。
ただ、私なりの切り口は持っている。

一つは、今は「フェイクの時代」であること。
もう一つは、「顔色を伺っている時代」であること。(これは別の機会に。)

フェイクとはFakeのことであり、模造とか偽物という意味である。
私たちの周りを見渡すと、なんとFakeの多いことか、驚いてしまう。

以前もここで書いたが、東京ミッドタウンに行ったとき、強くそれを感じた。
あれだけの、施設があっという間に出来上がってしまう。
確かに、快適な生活空間ではある。(それも計算しつくされた。)

だが、私には蜃気楼としか見えない。
心の底から落ち着くことができない。
何かが足りない。
それは、重みであり、自然であり、伝統であり、文化である。
一言で言えば、本物がないのである。
すべてがFakeで出来ているのである。
植えられた木々や草花さえも。

パソコンやゲームの世界を引き合いに出すまでもなく、我々は視覚、聴覚までもFakeの空間に漂っている。
味覚もそうだ。

私にとって卑近な例として、会社の営業の連中である。
彼らは一日の大半を事務所に居座って、パソコンを叩いている。
メールをやり取りしているのだ。
電話で客先と話すくらいはまだいい方だ。
情報は、インターネットから収集している。
今では、仕事もバーチャルな世界で完結してしまっている。

私のような古い人間は、営業が事務所にいることに違和感を覚える。
外に出ろよ。
外に出て、客先と直接会って話をしろよ。
・・・・・っと、いつも思う。

今の若い人達は、生まれたときからこのFakeの世界しか知らない。

私は言いたい。
これは、ヤバイですぞ。
トーッテモ、危険ですぞ。
・・・・・っと。

みなさ~~ん。
ホンモノに触れましょう。
本物とは何かを知りましょう。
・・・・・っと。

100年後の世界が、今よりも本物に囲まれた世界でありますよ~に。

とりあえず、連休後半は、20歳代にのめりこんだ登山でもしてみましょうか。

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