・・・・・・・っということで、3年生の甲斐君はぼくのことなんかゼンゼン気にせず、学生運動に没頭していた。
青木君は青木君で、卒論に勤しんでいた。
ぼくの入った部屋は、別の部屋にあるようなガサツな雰囲気は全く無かった。
しっかり、新聞も取っていた。
でも、流石に酒だけは飲んだ。
新潟県出身の青木君は、酒が強かった。
井上陽水や、吉田拓郎系の曲を好んで聞いていた。
そして、水泳の名手だった。
夜中に学校のプールに忍び込んで、よく二人で泳いだ。
彼は、夏休みのアルバイトで、ライフセーバーの仕事をしていた。
25mプールを一度も息を継がずに潜水できた。
往復だったかどうかは忘れたが。
溺れた人を助けるとき、先ず口から一息入れてやることが大事だと言っていた。
それをやるかやらないかで、生存率が劇的に変わるそうだ。
もちろん、助からなかった人も救助(?)したことがあると言っていた。
前にも書いたが、彼は皆から一目置かれた存在だった。
背は高くないし、顔色も悪かった。
缶ピー(缶入りピース)を吸っていた。
人付き合いの悪いぼくをサポートしてくれた。
いまでもはっきりと彼の顔を思い出せるが、カッコ良かった。
そんな思いがけない先輩に恵まれたが、青木君も卒業して損保の会社に就職していった。
最後の飲み会のときに、ぼくのことを本気で心配してくれているのがよく分かった。
「コイツを一人で残していってダイジョーブかなぁ~~」ということが顔に書いてあった。
その前に、3年生の甲斐君は寮を出てしまっていた。
・・・・・・っということは、2年生にしてぼくはその部屋の「主」になってしまったのである。
アレレ、まだつづく。
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