2009年11月18日水曜日

訪問した国々(中国編)

・・・・・・っということで、書きたいテーマが無くなった。

こういうときは昔話にかぎる。
西回りに訪問した国々を巡るシリーズを始めることにします。
もちろん、独断と偏見に満ちた印象を綴っていく予定です。

まず始めは、中国。

24年前に香港経由で冬の北京に入った。
着いたのは殆ど真夜中で、空港から市内までの直線道路を車で走った。
明かりは殆ど無く、延々と続く高い並木がヘッドライトに浮かび上がった。
ヘッドライトが届かないところは、真の闇であった。
不意に、狼の目がこちらを見ているのではないかという錯覚にとらわれた。
このときの印象が、長い間ぼくの中国のイメージとして固定した。
これからも書くはずですが、初めての国の印象は、空港から市内までの印象が大きく作用すると思います。

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翌朝目が覚めて、自分がどこにいるのかしばらくつかめなかった。
中国に行く直前までヨーロッパにいたので。
ボーっとした頭で、ホテルのカーテンを開けると、信じられない光景が目に飛び込んできた。。
シャァ~っという音と共に、無数の自転車が目の道路を走っていた。
それも、いつまでも途切れないのである。
いったいぼくはどこにいるのだろう?
しばらく、頭が混乱していた。
その当時は、自動車は本当に少なく、広い道路は自転車の流れで埋め尽くされていた。
タクシーなんかつかまらず、日本の企業はタクシーそのものを借り上げていた。

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今では信じられないかもしれないが、当時は「兌換券(だかんけん)」という、
旅行者しか使えない通貨(?)に両替させられていた。
もちろん、中国元は外国では全く無価値に等しかった。
一般の店に行って、兌換券を使うことは出来ない。
指定された、国営みやげ物店とか、レストランでしか使えないのである。
それほど、当時の中国は、外貨の獲得に汲々としていた。
それが今では、中国は外貨準備高ではぶっちぎりの世界一だ。
地元の人よりずっと高く買い物させられていた訳だけど、どうしようもなかった。
でも、そんな店でも値切るぼくを見て、同行の人は驚いていた。

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老人がノンビリ日向ぼっこをしている。
そのときの印象は、「中国では時間がゆっくり流れる」だった。

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あと、印象的だったのが、公衆トイレ。
ドアも無く、こちらを向いてしゃがみこんでいるのを見た時は、ゲンナリしてしまった。

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その後、しばらく中国に行く機会がなかったが、5年前から立て続けに上海に行く機会ができた。
もちろん、兌換券なんかはとうになくなっていた。
外貨でもちゃんと人民元に交換できる。
物価もメチャクチャ安いというわけではない。
それだけ、元が強くなり、中国人の生活レベルも上がったことになる。
道路は、自転車の洪水なんて過去のことで、今度は自動車の洪水に変わっていた。
これでもかというほど、マンションやビルの建設ラッシュだった。
でも、モダンなビルの現場には、地方からの出稼ぎの労働者が、たくさん目に付いた。
共産主義社会で、貧富の差は歴然と生じていた。
久しぶりに北京にも訪問し、天津にも行った。
だが、空気の汚れの酷さはどうだろう?
晴れているにも拘らず、太陽を直接見ても眩しくないのである。
上海の駐在員に聴いたが、ここに一年もいれば確実に喘息になるとのことだった。

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最初に抱いた、凍てついた澄んだ空気のイメージはどこに行ってしまったのだろう。
もちろん、銀色の狼が出てくるような錯覚を抱くような中国は、もうそこには無かった。

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