2008年7月11日金曜日

妄想

・・・・・っということで、男は静かに横たわっていた。

そこに横たわったまま、どの位の日数が経ったのだろう。

沢で動けなくなり、ようやくこの山の稜線まで這い上がってきたのだ。ここなら、運よく捜索ヘリコプターが見つけてくれる可能性が高い。

男は初老といっていい年齢だ。

若い頃、毎週のように登った山だ。久しぶりの足慣らしと、軽く考えたのが甘かった。
道に迷った上に、エアロビクスで痛めた足がついに動かなくなってしまった。

食料は2~3日前になくなり、残ったのは下山してから飲もうと思っていたウィスキーだけだった。

だんだん意識が遠のいていく。

<男が船乗りをしていた頃に記憶が飛んでいった。
若い盛りで、体力はいくらでもあった。
避難訓練で、太平洋の真ん中でカッターを下ろし、本船からかなり離れたときの不安な気持ち。
嵐の南シナ海を航行していたとき船尾から見た、あの天地創造のときのような光景。
海から切り立った島の頂上は、雲の中に隠れていて、断崖には白い滝がジグザグに流れ落ちていた。
あのまま船乗りを続けていたら、今ごろどんな生活を送っていたのだろう。>

「もう飲むのはよしなさいよ。足に悪いから。」
女がが、やさしくたしなめた。
「最後くらい、好きにさせろよ。どうせ、この足は腐って、明日になればオレは死んでしまうんだから。」
男は、いつになく不快な気持ちを言葉に表した。
「明日の朝になれば、ヘリコプターが迎えに来るわよ。わたし、必ず来る予感がするのよ。」
女は、遠くのほうに目をやった。
もう、日が落ちて、あたりは暗くなり始めていた。
横顔が美しい。この女は。

<男は、自ら進んで、砂漠の勤務を志願した。
漠然と、砂漠にロマンを求めていたのだ。
あの頃は、無茶をやった。
アラブ人のレイバーを100人近く雇っていた。
その全ての、名前、それもフルネームで覚えていた。
だから、呼ばれたほうはビックリして、よく言うことを聞いてくれた。
ある日、一人のレイバーと口論になり、相手がバールを振り上げて、男に殴りかかったことがある。
男は両手でそれを受け止め、しばらく揉み合いになった。
相手の狂気を含んだ目と息遣いを今でも忘れられない。
あのまま、あの仕事を続けていれば・・・・・・・。>

「さっきは悪かった。でも、飲まずにはいられないんだよ。」
いつもの優しい男に戻っていた。
でも、本当はこの女を愛したことなんかない。一度もだ。
ただ、女は優しさを求めているものだ。
男は誰でも、優しくなれる。
優しくなることが、一番易しいからだ。
死ぬときは、静かに死んでいきたい。
ただそれだけだ。

潅木の向こうに光るものがあった。
カモシカの目である。
この、2~3日近くまで来て、こちらを伺っている。
だが、今晩はどんどんこちらに近づいてくる。
近づくにつれ、その顔が死神の顔であることが分かった。
「来るなッ!!」男は、叫んだ。
カモシカの形をした死神は一瞬立ち止まった。

<男は、30歳の半ばから40歳の大半を、空を飛んで過ごしていた。
船乗りになるより、本当はパイロットになりたかったのだ。
その夢を実現させたのだ。
だが、所詮乗り物だ。
いつしか、空を飛ぶ興奮もなくなってしまった。
あのまま続けていくことも出来たのだが、自分から降りてしまった。>

男は、さらに飲み続けた。
突然、足元に死神が乗りかかっているのに気付き、ハッとした。

オレの人生は、いつも中途半端だった。
「いつでもできる」という状態で、結局何もしなかった。
男が持っていたのは、あの「優しさ」と、この何か凄いことをしそうだという「雰囲気」だけだった。
それに女は、引かれた。何人もの女が・・・・・・・。

翌朝、ヘリコプターの音で目が覚めた。
真上を通り過ぎていったのだが、すぐ引き返してきた。
スリングで吊り上げられ、機体内に入るのにチョット手間取った。
パイロットが操縦席から振り返り、「もう大丈夫ですよ。」と明るく男に声をかけた。
ホバリング状態から、次第に速度を上げ、ヘリコプターはどんどん高度を上げていった。

カスケード山脈を越え、すぐ近くにMount Hoodの山頂が白く輝いていた。
男は、ヘリの窓からその白い頂きを見下ろし、「そうだ、オレの帰っていく場所はあそこなのだ。」・・・・・・っとつぶやいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

しばらく経ってから、捜索隊は山の稜線に横たわっている男を見つけた。
シュラフから右足だけが、はみ出ていた。
もう死亡してから数日経っていて、体の一部は既にミイラ化しつつあった。

・・・・・・・・・・・・・・・・
「あなた!!そんな格好のままで寝ていたら風邪を引くわよ!!!」
カミサンの声に、男は現実に引き戻された。
いつものように、ビールをかっくらって、テレビをつけたまま寝てしまっていたのだ。
「ファ~イ」っと返事して、男はのそのそと起き上がり、布団を敷いてもぐり込んだ。
そして、すぐに深い眠りに戻っていった。

・・・・・・・・・・・・・・・

以上、分かる人には分かるだろうが、ヘミングウェイの「キリマンジャロの雪」のパロディーでした。
ちょっとヒザが痛いだけで、とんだ妄想をしてしまった。

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