2008年3月13日木曜日

またまたジイサンの昔話

・・・・・・っということで、まだ2時間フライトが残っている。
今頃は中国本土上空、多分ホンコンのはるか北あたりかな?

こう見えても、昔はパイロットの世界にいた事がある。
ちょっとビミョーな言い方だったが、エアラインのパイロットをしていたわけではない。
もっともっと地味な民間航空の世界である。
私自身もパイロットの資格を持っている。
・・・・・・っと、大きな声でいえないくらい、民間航空の実体は惨めなものであった。
それでも、パイロットを教える事まではしていた。
私の教え子達が、みなさんの頭上を今日も飛んでいます。

日本の場合、航空大学校か、大手航空会社が養成するコースを出ない限り、エアライン機長の道はない。
まあ、エリート教育ですね。
私の場合は、アメリカでライセンスをとった。
アメリカの場合、日本のように純粋培養するのではなく、民間のチャーター便や、コミューター便の機長をしながら、経験を付け、エアラインのパイロットに這い上がるシステムである。
だから、皆たたき上げである。
正直言って、日本人パイロットの技量は彼らに比べたら、ヘタクソである。
当然、英語もヘタクソである。
そのくせ、エリート意識だけは人並み以上である。
私の知っているJAS(いまはJAL)の機長は、スチュアーデス(いまはキャビンアテンダント)とやりたい放題であった。

・・・・・・おっと、話が変なところに逸れそうなので戻す。
はっきり言って、エアラインのパイロットはつまらない。
バスの運転手とどっこいどっこいの仕事である。
私も一時期あこがれたが、自分のコクピットの後ろに何百人もの生命を預かりながら操縦するなんて、マッピラごめんである。
決められたコースを、決められた手順で毎日毎日繰り返すなんて、ストレスだけである。
それを飛ぶとは言わない。

大空を飛ぶということは、もっと自由な事である。
何といっても、初めてのソロフライトのときが一番興奮した。
コクピットの中で、「オレは自由だー!」っと叫んだものである。

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