2008年4月8日火曜日

自然に対するオマージュ

・・・・・・っということで、藪からボーの話題です。

私は神の存在についてはニュートラルな立場である。
信じる人に干渉したくもないし、だからといって積極的な無神論者でもない。

しかし、自然の仕組みについては神の存在に近いものを感じる。
私が自然の偉大さに接するとき、畏怖の念を抱かざるを得ない。

私なりに表現すれば、自然とはハーモニー(調和)である。

自然は、一番釣合った状態に戻ろうとする力を持っている。
それがどんなに時間が掛かろうとも。

例えば色。
自然の色は、完璧に調和している。
どんな奇抜な色だとしても、自然の配色が変だという事は絶対にない。

例えば、形。
動物、植物、地形、どれをとっても相応しい形をしている。

そして、音。
自然の発する音は、すばらしい。
鳥の声、風の音、波の音、全ての和音が調和している。

人間が作り出す芸術も優れているが、自然のセンスには及ばない。

この自然のハーモニーは、大宇宙全体をコントロールしている。

それに比べ、人間は。

大都会の人口環境の中で暮らしていると、自然のことを身近に感じる機会は殆ど無い。
毎日の繰り返しの中で、自然のことなど忘れ去っている。

当たり前のように、夜と昼との繰り返し。
時々雨が降るとか、せいぜい台風が来たときくらいが自然を意識するときである。

このまま人間はどこに行くのであろう。
いや、人間の「心」はどこに行くのであろう。

最初に書いたように、自然は釣合いを求める。
どんなに時間が掛かろうが、不釣合いのものに対して容赦なくバランスを取ろうとするはずである。

人間の存在は、自然の釣り合いを乱しているのは間違いないことである。

建物一つにしても、今の建物には、昔の建物にあった自然に対するオマージュが一切見受けられない。
オマージュとは、自然との調和への配慮である。

そんな人間を、自然は放っておくだろうか。

じわりじわりと排除(抹殺)しようとするのではないか。

だが、人間も自然の一部である事も間違いない。
人間も、何かの意味を持って存在しているのだろう。

だから、破滅の道を進む人間に対して、自然は何かの兆候を示すはずである。

世の中「温暖化」っと大騒ぎしているが、そんな大げさな事よりも、もっとさりげなく自然のいとなみを意識させるのではないか。

・・・・・・・・桜の季節が終わるあたり、そんな事を考えた。

毎年巡ってくる桜の季節。
華やかに咲いた途端、すぐに散っていく様。

自然から遠く離れていってしまった人間達に。
変化のない毎日を送る人間達に。

そ~っと、さりげなくその様を見せることによって、人間のはかなさを、自然とのハーモニーの大切さを教えているのではないのだろうか。

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