・・・・・・・っということで、歳は取りたくないものである。
歳を取ったという証拠は、いろいろな形で現れてくる。
体力がなくなったとか、筋力が落ちたとか、目が悪くなったとか・・・・、
こういう物理的な衰えは仕方がない。
機械でも長年使っていると、磨耗したり品質が劣化するのは避けられないからだ。
一方、物覚えが悪くなるとか、人の話を聞かないとか、頑固になるとか、脳の衰えも目立ってくる。
これは、脳というコンピュータのメモリー容量が少なくなったり、CPUの処理スピードが時代遅れになることから生ずる現象といって差し支えないだろう。
脳というものも物質であるから、体力と同じように物理的な衰えと考えていいだろう。
問題は、そういった「ハードウェア」の問題ではなく、「ソフトウェア」の面で老化することである。
どういうことかというと、物事に「無関心」になることである。
ぼくが今日言いたいことは、「好奇心」というのが老化を判断する一つの尺度じゃないかということ。
赤ん坊と大人を比べればすぐ分かるはずだ。
赤ん坊は好奇心のカタマリだ。
こどもは、好奇心に突き動かされて、無駄な動きが多い。
一方、大人になるにつれ無駄な動きが少なくなる。
ぼくのような年寄りになると、出来るだけ無駄な動きを避けようとする。
エアロビクスでも、なるべく省エネを心がける。
・・・・・・
でも、そんなことを重ねていくと、「好奇心」を置き去りにしてしまうような気がする。
「物事が分かったような気」になってしまうのである。
これは、大変危険なことだ。
年寄りだから人生経験が豊富で、物事を知っているというのは、マア、多少の事実は含まれている。
だが、自分自身が自分は「物知りだ」と思うこと、これは危ない。
こう考えていくと、好奇心を失った若者、好奇心だらけの老人なんてアタリマエに存在することに気付く。
ぼくも老いないために、好奇心は持ち続けたいと祈っている。
好奇心を失ったら生きる意味があるのか?とまで極論したくなる。
・・・・・・
でもね~~
それって案外難しいものなんです。
好奇心をかきたてる対象を、常に持ち続けるって。
マア、結局そんな自分を叱咤激励し続けなきゃならんのですよね。
Y(>_<、)Y
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