2010年4月6日火曜日

義父の想い出

・・・・・・・っということで、カミサンの父親は小学校の校長だった。

亡くなってから、もう18年も経っているが、彼の書いた文章が出てきた。

「モコの想い出」という題名。

モコとは、カミサンの実家で飼っていた犬の名前である。

学校の随筆集か何かに載せるために書いたものであろう。

彼とモコ、モコと彼の孫、即ちぼくの長女の写真も付いている。

縦書きのワープロで、何てことない文章だ。

大正生まれの彼は、珍しく身長が180cmちょっとあった。

白髪の爺さんがぼくより背が高いのには、面食らった。

170cmのカミサンは彼の遺伝であることは間違いない。

彼は酒が一滴も飲めなかった。

だからという訳でもないが、最後までぼくは彼と腹を割った話が出来なかった。

癌で亡くなった。

最初、親指が腫れたので、大して気にもせず、医者にかかった。

それがどんどん膨れ上がり、切断しなきゃというまで大変なことになって入院した。

そのうち鼻の横に腫瘍が出来た。

小細胞癌?だったかな、進行の早いたちの悪い癌だった。

本人は最後まで、自分が癌だったことを知らなかった。

彼は、「極楽トンボ」というあだ名があるくらい、自分の好きなことをして生きた。

最後は、ラジコン模型飛行機に凝って、飛行機を組み立てては一人で多摩川に飛ばしに行っていた。

飄々とした感じで、人望があった。

ラジコン仲間で彼が会長に祭り上げられるのに、そんなに時間がかからなかった。

車の運転が好きで、カローラクラブの会長にも納まっていた。

色んなところで、すぐにまとめ役になってしまう。

そんなに、口数が多いわけでもなく、特にリーダーとしての指導力があるわけでもない。

ただ、人の嫌がることは絶対に言わなかった。

周りの人も、彼を上に据えておけば、誰からも文句は出ないだろうという、暗黙の了解があった。

不思議な人だった。

だけど、ぼくとは殆ど会話はなかった。

病院の彼を見舞いに行ったとき、

「本当に不思議な病気だ。原因がわからない。」と、彼が言った。

ぼくは、癌と知っていたので、なんとも説明が出来なかった。

すぐ顔に出てしまうタイプだから、余計つっけんどうな態度をとってしまった。

彼が亡くなったとき、若い看護婦が大泣きした。

・・・・・・

彼の書いた文章を読んで、なんでぼくは彼と心が通じ合わなかったんだろうと、改めて考えさせられた。



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