2009年3月18日水曜日

ブログ考(その7最終回)

・・・・・・っということで、そろそろまとめなければなりません。

こうやって長々と書いてきて、私がブログにモヤモヤしたものを感じる理由が、なんとなく判ってきたような気がします。

考えをまとめるということは、このように書くことが有効的ですね。

まさしく、ブログの効用は、とにかく書く行為をすることによって、自分の人生の意味合いを整理することが出来ることじゃないかな。(ちょっと大げさかもしれませんが。)
・・・・・・イヤイヤ、これでまとめとは十分じゃないなァ~。

もちろんですが、私が分析したことがブログの全てではないでしょう。

私のように、小難しく考えない人の方が圧倒的に多いでしょう。

これからブログを書き続けていけば、私のブログに対する考えも変わると思います。

今回は、その中間報告ということですかね。

・・・・・・

さて、最後にブログを特徴付けている重要な事柄を一つ付け加えて終わりにします。

それは、一方的に関係を切ることが出来るということ。

どういうことかというと、居心地が悪ければ、いつでも、いとも簡単にブログを終了することが出来るのです。

ブログの持つ匿名性がそれを可能にしているのは、言うまでもありません。

このような、コミュニケーションの手段は今までなかったんじゃないかな。

「応答を求めている」のに、同時に「応答を恐れている」という側面とはこのことです。

プライベートなことを書いていながら、私の本名はもちろんのこと、私の実体を知ることはできない。(何事も例外はありますが。)

読者のことも、ほとんど知ることが出来ない。

お互い、想像の範囲内でしか相手を考えることが出来ない。

これは、寂しいようで、便利なことですね。

安全のためにも、肝心なところはぼかしておくほうがいいのです。

いくら隠しても、長年読んでいれば、その人のことが自然に分かってくるものだと言われるかも知れません。

でも、私はその考えに対しては、疑問を持っています。

一歩進んで、ブログで知り合った人と会うこともあるでしょう。(実際にあるのだが。)

そうすると、もうその人とはブログでの関係から、一歩出た形になってしまう。

顔の見える相手に書くブログは、その人にとって近況報告になる。

ここまできて、何故ブログがこんなに流行るのか、だんだん分かってきたと思います。

ブログを書く人が弱い強いは別にして、希薄になってきた人間関係を埋めようと、無意識のうちに発信するのです。

日記を公開することによって、不特定多数の、どこの誰かも知らない人を相手に、自分のプライベートな部分を敢えてさらけ出すような行為をするのです。

では、強い人間関係を求めているかというと、そうではない。

一方で、人間関係を求めようとしているのに、いつでも逃げ出せる用意が出来ていなければならない。

ブログは本能的に「自分が生きた証」を残したい行為であると定義したけれど、それと共感する人が出現したからといって、深く係わり合いは持ちたくない。

まずいと思ったら、一方的に打ち切って、また別のニックネームで、違う人間に成りすますことが可能でなけらばならない。

こういう、現代人の二面性にうまく応えたのが、ブログなのです。

以上、直球と変化球を混ぜつつ。


end.

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