2012年7月30日月曜日

柔道は道でありJuDOはスポーツである(その2)

・・・・・・・っということで、ちょっと上手く伝わっていないようなので、少し整理してみます。








前回書いたことの要点と、それに対して生じるであろう反論は次の2点です。







(1)あまりにも大きすぎる期待は選手を押しつぶすか?







←選手はそんなヤワじゃない。







(2)金以外のメダルは価値がないというのはオカシイか?







←出場する選手は全員目指して戦うのはアタリマエだ。







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この疑問を扱う前に考える問題がある。







それは、柔道とはどんな道なんだろう?だ。







「道」とは正しい道。







宇宙の真理に繋がる道(ちょっと大げさかな?)じゃないのか。







道を極めることは勝ちにこだわることなんだろうか?







相手をやっつけて、一番高いところに立つことが目的だろうか?







柔道はそんな浅いことを教えているのだろうか?







はっきり言うが、そんなことを道は求めていない。







柔道を通して教えられたものはそんな事じゃないはずだ。(自分がやっていないのに良く断言できるよと突っ込んで下さい。)







他のスポーツと決定的に異なるのは、最初からそういう道を求めている点なのです。







日本人に限らず、柔道をやっている人なら誰でも分かっているはずなのです。







柔道を通して何より心が鍛えられ、人間として成長し、礼儀正しく、温和な人間になれるのです。







だから、日本が誇る柔道であり、世界から尊敬される柔道なんです。







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とはいえ、形は勝負の形になっている。







勝負の結果、負けがあり勝ちがある。







強くなれば嬉しいし、見ているほうも面白い。







んなら、他のスポーツとどこが違うのか。







世界中に道場ができて、愛好家がたくさんいるのだから、世界一を決めるオリンピックの競技にして何の問題があるのか。







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今回の中継でも「組めば」日本選手が圧倒的に有利なんですがねぇ~~







という解説を何度も聞いたし、これからも聞くだろう。







日本式にやっていれば、伝統の上でも、競技人口からしても日本人が絶対有利だ。







無差別級なんていうムチャクチャな階級(?)があるのは柔道くらいじゃないか?







それは、体格が絶対的に有利だからといって、勝てるわけがないのが柔道だからなのだ。







柔よく剛を制すが柔道の醍醐味なのだ。







ところが、世界ではそれは面白くない。







日本の選手が有利な条件を片っ端から潰すルールに変えていったのだ。







昔の柔道着は袖がダブダブだったのに、いまはパッツンパッツンだ。







組みにくくする目的のためだ。







日本人には面白くないだろうけれど、世界ではそうするのがアタリマエなのだ。







オリンピック毎に、日本選手が金をさらっていくのは面白くないのだ。







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そうなのだ。







世界は勝ちにこだわるのだ。







柔道の道なんて、ドーでもいいのだ。







それが今回のタイトルに込めた意味だ。







柔道とJUDOは似て非なるものに変化してしまったのだ。







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だが、時々世界の人も柔道のホントーの意味に気付く瞬間がある。







あのエジプトのラシュワン選手が決勝戦で山下泰裕の痛めている足を攻撃せずに、銀メダルに終わった試合だ。







あれは、どうも作られた美談だったようだが、柔道の意味を教えられたことは間違いないだろう。







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そして、今回に限らず、オリンピックでの日本の柔道選手達の試合を観ることになる。







金以外のメダルは価値がないと本人が発言したり、周囲もそういう言葉を(激励の意味を込めて)投げかける。







試合前、まるで日本の柔道を一人で背負って立っているような気負った表情を見せる。







そして、負けて呆然とした表情を浮かべる。







コーチたちは、審判の判定の未熟さに抗議をする。







負けた選手は、自分が不甲斐ないとか、自分を責めるようなコメントを吐く。







そして、このオリンピックにホントーに選ばれるべきは、他の選手だったんじゃないかなんて周囲がいう。







いつもこの繰り返しだ。







そこには柔道の「道」はどこにも存在しない。







ぼくがオリンピックで柔道の試合中継を見たくないというのはこういう理由なんです。







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どれだけ厳しい練習をオリンピックを目指して積んできたか。







本人達が一番知っているはずです。







オリンピックの舞台に立てたこと自体、それを証明しているじゃないですか。







あとは、勝負ですから勝つときもあり、負けることもある。







その原因が、審判のミスの時だってある。







弱い相手が信じられないような勝ちを掴むこともある。







柔道の「道」を極めた選手なら、一番その辺のことを分かっているんじゃないですか。







銅メダルで終わっても、心から喜んでいる選手。







負けても勝っても、相手を称える選手。







今回は負けたけれど、次はまたオリンピックの舞台に戻って来て、そのときは勝ちますという選手。







そういういう事ができる選手は、日本人が一番相応しいのじゃないだろうか。







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えっ?







まだ最初の2つの疑問の答えになっていないって??













1 件のコメント:

匿名 さんのコメント...

最近他の方のブログからこのブログの存在を知り、毎回興味深く拝見させていただいております。私もスポーツクラブのいくつかの会員であり、エアロビクス、ステップの愛好者です。「エアロやくざ」についても、私は全くその言葉自体を知らなかったのですが、こちらのブログを見てようやく私がいつも感じていたやりきれない思いを代弁していただいたようで溜飲が下がった気がいたしました。今、過去のブログを拝見している途中ですが、うなずける部分も多く、特にインストラクターの薄給について、それにもかかわらず多くのインストラクターがすばらしいプロ意識を持ってエンターテーナーに徹して努力をしていることなど、私たち会員も考えさせられることがたくさんありました。私のようにブログの更新を楽しみにしている読者もいるのだということをお伝えしようと今回メールさせていただきました。

さて今回の「柔道」についてですが、私見を少し。柔道に限らずこうした世界的な勝負の場で日本人が金メダルを取るのは本当に誇らしいことですが、私もこうした試合をずっと見ていることに耐えられない感覚になることがあります。なぜなら、同じ日本人としてオリンピックの場に立つまでにどれだけの血がにじむような努力をしてきたかがわかり、その悲壮とも言える覚悟が伝わってくるから。それでもなお周囲の期待を背負って戦う姿にある種戦時中の特攻隊のようなイメージを重ねてしまうから。(私は戦争を知りませんのであくまでイメージです。)しかしそれと同時に勝負は時の運と言うのも事実なのだから。世の中には努力が必ず報われるのではない、と言う事実もあるのだから。負けて打ちひしがれ、ある者は呆然とし、ある者は悔し涙を流す。日本人特有のメンタリズムをまざまざと見せ付けられることに耐えられなくなるのです。こうした思いを抱くのは私だけでしょうか?メダルなどとらなくたって、世界が変わるわけではありません。おそらく一番大切なのは、勝っても負けても勝負の後に自分がどうあるべきかを考え実行することに本当の柔の道が目指すものがあるのではないでしょうか?