2012年2月12日日曜日

ブログは文化か?(補足版)

・・・・・・・っということで、先ほどブログ文化について書きましたが、ちょっと補足します。

前提として、ブログは日記であると捉えてください。

その日の出来事や思ったこと、感じたことを書くのですから、まさしく日記ですよね。

(いままでの日記と)唯一異なる点は、他人に公開する日記であることです。

それは、インターネットの普及によって個人が「発信」することが可能になったからです。

日記を付けたことがある人なら共通の感覚を持たれたはずですが、日記はあくまでプライベートなものであるにもかかわらず、心のどこかに他人に読んでもらいたいという感覚がありませんでしたか?

ぼくは以前その感覚のことを、「自分が生きた証を残したい気持ち」と分析しました。

日記である以上、自分を飾らず正直に書くべきです。

他人が読むのですから、どの程度正直に書くか、そこはその人のさじ加減によるのですが、なるべくストレートに書いてほしい。

その方が読んで面白い。

でも、リスクがある。

プライバシーが侵害されるリスク。

変なヤツに絡まれるリスク。

だから、ありきたりのことを書く。安全だから。

だが、そうするとブログは文化へとは発展しなくなる。

ブログという場を安全なものにするためには、ルールが必要でしょう?

明文化したルールでなくとも、共通認識として最低限の「作法」が必要でしょう?

・・・・・・・

皆さんも経験されたことがあると思いますが、ブログという世界は批判されたら予想以上に心のダメージが大きいものなのです。

それは、基本が日記だからなのです。

いくら公開していても、無防備な心の柔らかい部分を晒すのが日記だからです。

そこを武装してしまったら、もはや日記ではなくなるのです。

誹謗中傷する側にとっては実に攻撃しやすい。

このために、いったい何人の有望なブロがーがこの世界から去っていったことか。

・・・・・・・

ブログのいいところは「鮮度」です。

そのとき思ったことをサッと書くのがいいのです。

完璧に理論武装して書いていたのでは鮮度が失われるのです。

論文じゃないのです。

サッと書くのですから、穴だらけなのです。

自分でもそのことが分かって書いているのです。

何でか?

そのときの気持ちを他人に共有してもらいたいからなのです。

書いたことに同意してほしいのです。

間違っても他人に批判なんかされたくないのです。

唯一批判されてもいいのは自分自身からだけなのです。

自分の日記を将来読み返してみて、「あの時は未熟だったなぁ」とか、「間違った考え方をしていたなぁ」と気付く自分を想像するのは楽しいでしょう?

・・・・・・・

「他人のブログを誹謗中傷しないという最低限のマナー」の意味が分かっていただけたでしょうか?

日記にどんなことを書こうが自由です。

他人の日記にケチを付ける権利は誰にもありません。

どんなことを書いていても、次から読まなければいいだけなのです。

修正しようとする行為は、それこそ自分の価値観の押し売りです。

唯一、賛意を示すもの、あるいは創造的な対話に発展するコメントのみ許されるべきです。

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