・・・・・・・っということで、こんな歳なのに今頃になって気付くことがある。
それは、スポーツ観戦で、外国人と日本人では、求めているものがビミョーに違うということである。
外国人は応援している方が勝つことを求めている。
エッ?
日本人も同じじゃないかって?
ぼくが言いたいのは、勝ち方である。
外国人は勝つことを求めていても、圧倒的に勝つことを求めている。
そして、相手をやっつけてスッキリした気分を味わおうとしている。
まるで、自分達が正義のような気分になって。
そして、勝つためには多少汚い手を使ってもいいと思っているフシがある。
・・・・・・
日本人は、勝つプロセスを大事にする。
それは、試合中だけではなく、練習中の努力とか、生い立ちまで遡って、
試合の中に人生ドラマを重ねてみようとする。
だから、自分の贔屓の側のみならず、相手にも等しく人生ドラマを見ようとする。
その結果、勝っても奢らず、負けたほうにも同情する。
日本人の戦い方がクリーンなのはそのせいである。
・・・・・・
あえて表現すれば、
外国人のスポーツは【グラディエーター型】で、
日本人のスポーツは【浪花節型】である。
・・・・・・
どちらがいい観戦の仕方だとは言わない。
だが、選手からすると、観客へのアピールの仕方を当然考えているはずである。
それは、意識しようがしまいがに関わらず、戦い方に大きな影響を及ぼすはずだ。
そうすると、外国選手と戦うときに、大きな差として表れはしないだろうか。
いや、表れているはずである。
・・・・・・
まあ、スポーツの場合は、楽しみ方の違いだからその差は問題にはならない。
ところが、命のやり取りをする戦争というときは、大問題になる。
これは、案外真剣に考えなければならない重要な問題じゃないだろうか?
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