・・・・・・・っということで、怖いものといえば、
『地震・雷・火事・オヤジ』と昔から相場が決まっていた。
中に「オヤジ」という人間の要素が入っているところがこの格言のミソだろう。
いまの若者が聞いたら、何かの冗談だと思われるだろうが、オヤジは本当に怖かった。
昔はオヤジ以外にも怖い人が多かった。
学校の先生、警官、ご近所のオバサンやご隠居、そして何より「大人」が怖かった。
悪いことをすると叱られたからだ。
ぼくの祖父は警官だった。
明治の時代の警官は腰にサーベルを吊っていた。
口ひげを生やし、見た目も実際も本当に怖かったらしい。
ところがいまの警官はどうだ?
若者にはナメられ、怖くともなんともない。
先生だってそうだ。
何を言いたいかというと、いまの若い人には怖いという対象がなくなったということだ。
電車の中で大またを広げて座ろうが、化粧しようが、
フィットネスクラブの湯船で鼻をかもうが、かけ湯もせずに飛び込もうが、
自国の国旗に敬意を表しなくても、
誰も注意しないと知っているからなんとも思っちゃいない。
彼らは叱られた経験無しに、図体だけは大人になったのだ。
その原因は何なのだろう?
それは【権威】というものが著しく低下したからだ。
権威というものの実態は分かるようで分からない。
何となく近寄りがたい。
何となく皆が一目置いている。
何となく勝てそうにない。
何となく逆らっちゃいけない。
・・・・・・
そういった「何となく」が重なったもので権威は保たれるものなのだ。
そもそも権威というくらいだから、裏付ける実力があるから権威なのだ。
警官が制服を着るのも、裏にある実力があることを、暗黙に示すからだ。
ガードマンがいくら似たような制服を着ても、警官の制服には敵わないのだ。
ところが最近、裏付けになる実力が怪しくなってきたのだ。
権威に胡坐(あぐら)をかいて実力の蓄積を軽んじてきたのだ。
警官だって万引きをするじゃないか。
先生だって買春するじゃないか。
国会議員だって脱税するじゃないか。
もちろん一部の不届き者がそういう行為をするだけで、大部分の人間はリッパなはずだ。
だが、権威というものは一度失墜すると、元の高さまで戻すのは容易でないのだ。
「何となく」が、「何てことない」になってしまうと、
警官だって何てことない、サラリーマンじゃないかという事になる。
現代は情報が早い。
不祥事はすぐ伝わる。
そして、何度も繰り返される。
そして、このワリを食ってしまうのは、本当の権威だ。
例えば学問の権威、芸術の権威、そういった本物の権威まで、
何てことないの仲間入りさせられてしまうことだ。
これは問題だ。
社会全体の問題だ。
権威を恐れなくなることは、人類の不幸なのだ。
恐れを知らない大人は、これからもどんどんと生産されていく。
ぼくらは「恐れるな」と教わった。
だが、これからの若者には「恐れろ」と教えなくちゃならないのだ。
本当の怖さを、今回の大地震で皆体験したはずだ。
大自然の怖ろしさを思い知らされたはずだ。
ならば、権威の怖ろしさも復権せねばならぬ。
・・・・・・
だからといって、明日から電車でシルバーシートに座っている若造を叱れとは言わない。
だって、彼らはいままでの人生で叱られたことのない、可哀想な人種なのだ。
逆切れするしか反応する術(すべ)を持たない、哀れな人種なのだ。
だから先生に向かって、学級崩壊の原因を作るガキに鉄拳制裁を加えろとは言わない。
叱られたことのないガキの親も、実は叱られたことのない世代になってきているのだ。
どうすればいいのか?
まず、怖いものを知らない若者の存在を認識すること。
そして・・・
ちゃんとすることを心がけるのだ。
ちゃんとした警官。
ちゃんとした先生。
ちゃんとした政治家。
ちゃんとした大人。
そして・・・・・・
ちゃんとした
オ・ヤ・ジ
(^O^)/
2 件のコメント:
FirstLightさんの気分を害したなら申し訳ございません。昨日、生まれて初めてブログへ返信しました。そういった事も有り、ブログ上での常識がわかりません。全く素性を明かさず、好き勝手返信してよいか解りませんでしたが、ご容赦願います。こちらが、どのように解釈したらよいか解らないブログの内容でした。私自身カンの鋭い方ではありませんので、FirstLightさんの思いを推し量る事は出来ません。オ・ヤ・ジの心意気でマイペースで更新して下さい。但しブログは続けて頂けそうな感じがしましたので、安心しました。
気分を害するなんてトンでもない。
今後もヨロシク(^O^)/
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