2011年1月21日金曜日

ふたたび対話について

・・・・・・・っということで、一日酒を抜いただけで、こんなにも体調良くなるのかと思うくらい調子イイです。

尤も、今晩も飲み会の予定が入っていますがね。

・・・・・・

さて、対話についてである。

以前にも何度かここで触れましたが、今の社会(特に日本に於いて)は対話が極端に少ないように見受けられる。

対話は議論ではない。

討論でもない。

雑談でもない。

会話でもない。

ましてや、いま流行のディベートでもない。

対話とは、対話を通じてお互いがより広く、あるいはより高く、より深く物事を考えようとする行為である。

お互いが、そのことを前提にして対話に臨む。

だから、相手の意見が間違っているとか、論破してやろうとか、自分の考えを押し付けようということは一切しないのがルールである。

TVを見ていると、対話が殆どない。

意見のすれ違いとか、血圧を上げての言い争いはしょっちゅう見かけるが。

そんなTV番組の中で、NHKが放送したマイケル・サンデル教授(ハーバード大学政治哲学科)の公開授業は、対話というものの典型であった。

教授が出す難しい命題について、東大生とか一般市民が自分の意見を言い合う。

思いがけない意見が次々と出てきて、「エッ?そういう考え方もあったのか」と気付く仕掛けである。

もちろん、あなたの考えは間違っているなんていう方向には誘導しない。

あなたのような考え方もあるが、こういう立場からの意見もあるじゃない?

でも、その考えをもう少し深めて考えてみてはどうだろう?

・・・という誘導をしていくのである。

まさしく、「対話」の効果なのである。

もちろん彼の専門は、政治哲学だから、そちら方面の話題が主になる。

だけれども、政治哲学なんかじゃなくても対話は可能だ。

いま、社会で問題になっていること、あるいは自分が悩んでいる個人的なテーマでも対話は可能だ。

・・・・・・

あの番組では、いくつかの問題を取り上げて対話をしていたが、その結論は必ず、

「いい対話が出来ましたね。結論は求めませんが、こういう風に考えを深めることが大切なのです。」

というオチになる。

これを見て、なぁ~んだと思われた視聴者も多かったはずだ。

でも、哲学ってそういうものなのです。

結論を求めていない。

考えるという行為そのものの中に哲学があるのですから。

一見無駄なように思えますよね。

でも、考える過程って面白くないですか?

人間はそういうところに面白さを見出せる生き物なのです。

・・・・・・

そういう風な目でブログをいろいろ見ていると、対話欠乏症に陥った人たちが沢山いることが分かります。

ぼくにとっては、そういうブログが面白い。

書く本人は、対話したいという自分に気付いていないのが殆どなのですが。

そういう人たちは、身近に対話をする対象がいない。

変な言い方だけれども、相手が居なくたってある程度、自分の中で対話をすることは可能です。

でも、それは限界がある。

だから、ブログで発信するのです。

・・・・・・

そういう行為って決して無駄なことじゃないんです。

いや反対に、とても大事な行為なんです。

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