・・・・・・・・・っということで、昨日の「歴史の伝承」についての続きである。
ある人から、コメントを頂いた。
たぶん、とても若い人からである。
本人に断りなしに、公開すると:
「小学生の頃に戦争の時代を描いたアニメで犬殺しのシーンがあって印象にのこってます。その頃はまだ小さかったからなんて酷いことするんだろう…と思ってましたが、色々仕方ないのかもしれないですね。大人になったいまでも賛成はできませんが…」
コメントの欄で公開されているから、このように貼り付けるのは問題ないと思うが・・・・。
このような引用は、ルール違反かもしれません。
これに対して、私の書いた返事は:
「まさか犬殺しでコメント頂くとは思ってもいませんでした。
ブログって、素晴らしい?
イヤ、あなどれない?
イヤイヤ、恐ろしい?
犬殺しですが、昔のほうがまだ理解できる。
今の犬殺しは、許せない。
ペットとして飽きたから、捨てるって?
冗談じゃない。
捨てたその先は、炭酸ガスで窒息死させるんですよ。
昔の「棒で殴るは犬殺し」のほうが、ズッとまともです。」
・・・・・っというものでした。
最近、私の近くでも犬をペットにしている人が多い。
まず、雑種はいない。
まるで、人間の子供のような扱いである。
・・・・・・・・・・・・・・・
一方、どこだったかな、都立野鳥公園の先の辺りにそういった捨て犬の施設がある。
私がカミサンと結婚した頃、「モコちゃん」という雌犬をカミサンの実家で飼っていた。
実は、カミサンの親父さんが、その捨て犬の施設で貰ってきた犬であった。
そのモコちゃんは、天寿を全うしたのだが、まさしく処分される直前だったのである。
危機一髪とはこのことだ。
・・・・・・・・・・・・
チョッと長くなったので、この先は端折る。
昔の「野良犬」は、その筋の職員に、「棒で殴り殺されて」いたのである。
今の「元ペット」たちは、埋立地の立派な「処分場」で「密室」に追い立てられ、炭酸ガスで窒息死させられるのである。
確実に死んだかどうか、モニターで死んでいく過程を確認できるようになっている。
だが、都の職員はそのモニターを切っているという。
その姿は、「安楽死」とは程遠いとのことであった。
・・・・・・・・・・
なにを言いたいか。
残酷とは何か。
少なくとも、棒で犬を殴り殺す場面は、残酷である。
棒で殴る係員は、棒を握る手に、犬の頭蓋骨が砕ける感覚が伝わってくる。
実に、生々しく伝わってくる「ハズ」だ。
だが、今はどうだ?
不安そうに後ろを振り返りながら、チャンバーに追い立てられる犬達の不安な視線は確認できる。
だが、次の瞬間
安らかに横たわる「元ペット」達の姿である。
その間に、手に伝わる
一つの生命を奪い取る
感覚を想像できるすべはない。
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