・・・・・・・・っということで、(神がいるとして)神様はツライ宿命を人間に与えたものだ。
エ~ット、これから書く文章はものスッゴ~ォ~く、マイナスエナジーの話ですから、
今年最後に読むには相応しくないかも知れませんので、あらかじめ読まないほうがいいですよ
・・・・・・っと、最初に断っておきます。
ホントーに、パスしたほうがいいですよ。しつこいようですが。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
エデンの園で人間が追放になった話とか、パンドラの箱を開けた話とか、
そんなことには比較にならないほど
神様は人間に対してとんでもないツライ宿命を人間に与えたものだ。
それは、「自分には寿命がある」と知ること。
どんな生き物にも、寿命がある。
永遠に生き続けられるのは、ない。
Nothingである。
平たく言えば、いつかは死ぬ。
分かってますよ。
でも、それを分かっているのは、人間だけじゃないか。
・・・・・・・
どんな生き物でも、いずれかは死ぬ。
でも、それを知っている動物は人間以外にはいない。
そこで、大問題が発生する。
「自分は何で生きているのか?目的は?」
・・・っという疑問が生ずる。
必ず。
人間である限り、この疑問に必ず突き当たる。
「自分の人生に何の意味があるのだろうか?」
これを考え出したら、回答は出ない。
どんなに考えても、絶対に答えは見出せない。
なぜなら、どんなに成功して幸福を勝ち取った人にも、
どん底の生活を送っている人にも、
必ず、死は訪れる。
・・・・・・
今ある世界。
少なくとも、いま自分が認識している世界は、自分の死と共に消滅してしまう。
そんなむなしい世界を、何でこんなに悩み、アクセクして生きなければならないのか。
・・・・・・
そこで、大多数の人たちは「死について考えないこと」にする。
解答が出ないと分かりきっている問題について考えても時間の無駄である。
意識的にせよ、無意識的にせよ、毎日の忙しさに紛らわせて、折り合いをつけて生活をしている。
本気で考え出したら、狂気に走ると薄々気付いているのである。
・・・・・・・
そこで、登場するのが「宗教」である。
宗教は「死を扱う商売」である。
死後の世界を全部まとめて面倒を見るのである。
宗教にすがれば、気持ちは楽である。
スンッゴーク楽である。
要するに、信じればいいのである。
多かれ少なかれ、宗教ってぇものはそんなものである。
難しいことを自分で考えずに済むからである。
・・・・・・っで、自分である。
宗教も、その効用は認めるが、信じちゃいない。
私のような、人間ってかなり多いんじゃないだろうか。
こんな人間でも、時々「死」について考える。
高ァ~い棚に上げて、忘れようとしていたのに、時々考えてしまう。
「死」について。
そんな、タイミングが今のような年の瀬なのである。
・・・・・・・・・
新聞を読んでいて、今年亡くなった著名人がまとめて出ている。
フ~ン、この人も亡くなったのかァ~
・・・・・ってな、感慨を持って一つ一つ確認していく。
大体が、高齢の人であるが、ときたま若い人も含まれている。
もちろん、私よりズット若い人たちだ。
ここで、「私が死んでも絶対に新聞には載らないなァ~」っと考える。
でも、「載ったからといって、それがナンジャァ」っという気もある。
新聞を見ながら・・・・。
そこで、神様は(いるとして)とんでもない宿命を人間に背負わせたんだろうと、改めて思う。
でも、
でもですよ・・・・・・
その「とんでもない宿命」は、考えようによっては、ありがたいことじゃないかと思う。
生きている意味は見出せないかもしれないけれど、
生きてよかった・・・・っと、感じる一瞬ってあるよなァ~。
達成感を覚える瞬間・・・・ってあるよなァ~。
その何十倍も、何百倍も辛いことばかりだけれど。
・・・・・・・
言いたい結論は、皆さんが予想するような、「優等生」的なものじゃないんです。
私が言いたいのは、そんなことも感ずるまもなく死んでいった人たちなのです。
庭で花壇を両親と共に手入れをしていたとき、車にひき殺された4歳の女の子。
浴槽で、窒息死させられた5歳の女の子。
家族もろとも刺し殺された8歳の女の子と6歳の男の子。
・・・・・・・
本当に人生は辛いものだけれど、それを経験する間もなく、死んでいった子供たち。
悩むまもなく、チャンスを与えられずに、無情にも殺された子供たち。
この子達にこそ、
「自分は何で生きているのか?目的は?」とか、
「自分の人生に何の意味があるのだろうか?」
・・・との問いが相応しい。
我々大人には、贅沢すぎる問いかけである。
・・・・・ドーでしたか?暗かったでしょう。(;^ω^A
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