・・・・・・っということで、今日はチョット硬い話。
毎日新聞のコラム【余録】に、ケネディ大統領が1963年アメリカン大学の卒業式で行われた演説が出ていた。
以下、引用:『最初に彼は英詩人の言葉を引いてこう述べた。「大学のキャンパスより美しいところはこの地上にほとんどない」▲詩人は大学に建つ尖塔(せんとう)や青々とした芝、ツタのはう壁のことを言ったのではない--そうケネディは続けた。「キャンパスが美しいのは、無知を憎む人が知る努力をし、真実を知る人がそれを伝えようと力を尽くしている場所だからです』
ここから、このコラムは大麻汚染の話題に移るのだが、わたしは、この演説の格調の高さにいたく感心した。
「政治家は言葉である。」
言葉が全てであるとも思う。
文字の力もあると思うが、その場の雰囲気、時代の空気(背景)があって演説というものは生きてくるし、文字では実現できないものすごい影響力があると思う。
いま、ケネディの言葉を文字で読むことができ、またその言葉に打たれるが、演説が行われたその会場で、彼の喋る態度を見、彼の声の抑揚を聞いた人達の感動には及ばないであろう。
それにくらべ、今の政治家の言葉の軽さはどうだろう。いやいや、日本の政治家だけじゃない。
いまは、45年前と違い、その場に居合わせなくても、見て聞くことができる技術が発達している。
それでも、格調の高い名演説が激減したのは何故だろう。
それは、政治家だけの責任ではないと思う。
聴く側の責任もあるはずである。
ここから連想して書きたいことは、山ほどあるが、今日はここまで。
聴く側の責任として、私が言いたいのは、ベースとなった詩人の言葉、そのもの。
「大学のキャンパスより美しいところはこの地上にほとんどない」
これだけである。
この言葉をよく噛み締めてみたいものだ。
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