・・・・・・っということで、【Grand Trino】を観た。
飛行機の中でだが。
クリント・イーストウッドのために書かれた台本かと思われるくらい、役柄にハマっていた。
なかなか良く出来た映画である。
出来過ぎというくらい。
でも、イーストウッドの作品に共通している、「不可解な暗さ」が殆ど感じられない。
これは、【硫黄島】でも同様だった。
上手く表現できないが、この独特の「暗さ」を愛するファンは多いのではないだろうか。
そういう意味において、「らしさ」を感じられなくて、ちょっと残念。
歳とともに、イーストウッドも「まとも」になってきたのだろう。
・・・っというくらいかな?
もし、「不満」を言うならば・・・。
ヒネクレた書き出しだったが、私の評価は☆五つである。
先ず、イーストウッドが体現する「古きアメリカの良さ」を丁寧に描いている。
そして、「古きアメリカの悪さ」も同時に。
さらに、「現代のアメリカの病巣」。
これは、主に若者の道徳の退廃と社会正義の喪失として提示されている。
これを救うには、「古きアメリカの知恵」、「古きアメリカの価値観」であると主張する。
・・・・・・っと、ここまでならば、並みの映画になっていたところであろう。
イーストウッドの上手いところは、さらに「少数民族の知恵」、「少数民族の価値観」を持ってきたところだ。
東洋のモン族(だったっけ?)という、誰も知らない移民を対抗軸に据えたことだ。
彼らとの(対立と)交流によって、「古きアメリカの悪さ」の部分がだんだん変化していく過程は上手い。
最後は、頑固一徹の主人公が、自身の「古きアメリカの悪さ」からChangeすると同時に、強烈な形で「古きアメリカの良さ」を思い出させる。
伏線としての、朝鮮戦争、若き牧師、酒屋や床屋の亭主とか、息子、孫、そしてもちろんGrand Trinoの扱い方は見事である。(ちょっと分かり易すぎるが。)
以上、オススメ映画です。
end.
2 件のコメント:
【Grand Trino】
アメリカ人的な日常生活の感覚と日本人の日常感覚の相違。
をよくこの手の映画には感じます。
ドラマのCSIなどをみると感じないのですが。
日本人には理解しづらい広大な土地・多様な人種などから生まれる
アメリカ人が持つ感性を存分に表現するクリント・イーストウッドの映画は、
日本人の感性では理解しづらい面も多々あります。
しかし、この映画の結末だけは日本人である私の感性とピッタリ合いました。
この感性は儒教的、仏教的ではあるんですが
キリスト教的感性でもあるんでしょうかね?
この映画を中国人が見たら納得するのでしょうか?
イスラム教的には感性として理解できるのでしょうか?
こういう結末は人間が誰しも持つモラルで、
宗教を超越するものなのでしょうか?
ふと疑問に思いまして・・・。
宇田賀さん
面白いコメントありがとうございます。
ヨーロッパ人に言わせると、日本の武士道は騎士道と同じだと。
そこで、アメリカ人が日本の武士道はアメリカの西部劇の精神と同じだと言った時は、笑ってしまいましたがね。
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