・・・・・・っということで、言葉は不思議だ。
私は普段、人から寡黙な人間に見られている。
自分で言うのもナンダが、近寄りがたいオーラを放っている。
それが、酒を飲むと饒舌になる。
もう、しゃべりだしたら止まらない。
そんな私の普段との落差を見て、人々は驚く。
こちらはそれを楽しんでいる部分もあるから、たちが悪い。
よく経験するのだが、話しているうちに、普段考えていないようなことを、あたかも持論のようにしゃべりだすのである。
「アレッ!自分はこんなことを考えていたのか!」っと、自分が自分に驚くのである。
不思議なことなのだが、話すことによって、初めて考えがまとまるということがある。
「対話」というものは、その効果を知った上で行う、知的な作業だろう。
文章に書くときも同じである。
文字に表すことによって、普段考えていたことをまとめることが出来る。
だから、話すことと、文字を書くことは大事なのであろう。
しかし、待てよ・・・・・・っと思う。
本当に、話したり、書いたりしたことは、自分の考えと同じなのだろうか?
単語のつながりである言葉は、不完全なものである。
文章も同じように、完全ではない。
その完全なものではない手段を用いて表現したものは、ホントーに自分の考えと同じなのだろうか?
ホントーに伝えたいものは、それ以外の手段でもできる。
これについては、わざわざ説明しなくても良いだろう。
でも、私がここで言いたいことは、
「自分の考え」、
「自分の思い」
というものを、
本当に自分が自分で分かっているのだろうかということである。
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