・・・・・・っということで、F君が亡くなった。
今朝、F君の奥さんからメールが入っていた。
奥さんからメールが入るなんて、初めてのことなので、ナァ~んか嫌な雰囲気がした。
先月、マニラに出張しているとき、たまたまF君を知っている人に会った、とマニラ所長から聞いた。
何気なしに、F君に「こんな人知ってますか?」とメールを打った。
F君とは、もう10年以上会っていない。
返事はなかった。
・・・・・・・スミマセン長くなりますこのブログ。
でも、読んでください、最後まで。
F君については以前このブログでも、チョコッと書いた。
去年の9月頃に書いた「私の若い頃」の、あのF君である。
民族紛争の激しい国に赴任していたから、テロに巻き込まれたかと思ったら、事故だった。
インターネットに事故のことが出ていた。
彼の名前も間違いなかった。
たしか52から53歳だったと思う。
メールには2月11日に事故に遭い、15日に葬儀、遺骨を持って21日に帰国し、27日にはまた赴任先に戻ったとある。
家族を連れて赴任していた。
子供二人の学校の関係で、日本の学校に転入するのは現実的ではないので、当面残ると書いてある。
子供たちは外国生まれだから、日本語は上手くないのだろう。
これから仕事を見つけて働くとも書いてある。
こういうときになんと声をかけてあげればいいか、言葉が浮かばない。
本当に突然の別れだ。
そのあと届いたメールには、
「私も、何故こんな事になったのかと思いますが、事故とはそういうものなのかもしれません。」
と書いてあった。
この言葉には、ぐっと胸が締め付けられる。
いつものように、行ってらっしゃいと見送ったのだろう。
私でさえ、彼の死を心の中で扱い兼ねているのに・・・・・。
この事実と折り合いをつけるには、時間の経過を待つしかないのだろう。
結婚後、長いこと子供に恵まれなかったから、まだ二人とも小さいはずだ。
最後にシンガポールで会ったときは、奥さんが妊娠中だった。
そのときは赤ん坊用のNIKEのスニーカーをプレゼントした。
だから、上の子でも、中学生になっていないはずだ。
本当に、不条理だ。
彼が「生きたい」と思った、その未来を私はこうして生きている。
彼が水中でもがいたときに見上げたであろう、その先の
光に溢れた空気の中で
私は、生きている。
こうして息をしながら・・・・。
フィットネスクラブからの帰り道、自転車を漕ぎながら空を見上げながら考えた。
灰色のどんよりした雲に覆われた3月の空を見上げて考えた。
・・・・不条理だと。
1ヶ月前に死んだ彼には見ることが出来ない、この日本の空を、
若い彼が当然体験すべき、この未来を、
私は、生きている。
ただ、漫然と・・・。
彼は、父親として子供と語り合う、十分な時間の権利を持っていたのだ。
彼は沢山の人から愛されるキャラクターの持ち主だった。私と違って。
そして彼には人を愛するための、沢山の時間が与えられていたはずだ。
・・・・本当に不条理だ。
奥さんに何かできることがあれば、遠路なく言ってくれとは伝えた。
でも、できることなんか何にもないんですよね。
こうして、彼のことを思い出すしかないんですよね。
奥さんのメールは、
「FirstLightさんもお身体、ご家族を大切になさってください。
また、ご迷惑でなければ、私共のその後(?)をお知らせしたく思います。」
と結んであった。
本当にしっかりした、物事をよく理解した人だ。
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