2009年3月15日日曜日

F君のこと

・・・・・・っということで、F君が亡くなった。
今朝、F君の奥さんからメールが入っていた。
奥さんからメールが入るなんて、初めてのことなので、ナァ~んか嫌な雰囲気がした。
先月、マニラに出張しているとき、たまたまF君を知っている人に会った、とマニラ所長から聞いた。
何気なしに、F君に「こんな人知ってますか?」とメールを打った。
F君とは、もう10年以上会っていない。
返事はなかった。
・・・・・・・スミマセン長くなりますこのブログ。
でも、読んでください、最後まで。
F君については以前このブログでも、チョコッと書いた。
去年の9月頃に書いた「私の若い頃」の、あのF君である。

民族紛争の激しい国に赴任していたから、テロに巻き込まれたかと思ったら、事故だった。

インターネットに事故のことが出ていた。

彼の名前も間違いなかった。

たしか52から53歳だったと思う。

メールには2月11日に事故に遭い、15日に葬儀、遺骨を持って21日に帰国し、27日にはまた赴任先に戻ったとある。

家族を連れて赴任していた。

子供二人の学校の関係で、日本の学校に転入するのは現実的ではないので、当面残ると書いてある。

子供たちは外国生まれだから、日本語は上手くないのだろう。

これから仕事を見つけて働くとも書いてある。

こういうときになんと声をかけてあげればいいか、言葉が浮かばない。

本当に突然の別れだ。

そのあと届いたメールには、

「私も、何故こんな事になったのかと思いますが、事故とはそういうものなのかもしれません。」

と書いてあった。

この言葉には、ぐっと胸が締め付けられる。

いつものように、行ってらっしゃいと見送ったのだろう。

私でさえ、彼の死を心の中で扱い兼ねているのに・・・・・。

この事実と折り合いをつけるには、時間の経過を待つしかないのだろう。

結婚後、長いこと子供に恵まれなかったから、まだ二人とも小さいはずだ。

最後にシンガポールで会ったときは、奥さんが妊娠中だった。

そのときは赤ん坊用のNIKEのスニーカーをプレゼントした。

だから、上の子でも、中学生になっていないはずだ。

本当に、不条理だ。

彼が「生きたい」と思った、その未来を私はこうして生きている。

彼が水中でもがいたときに見上げたであろう、その先の

光に溢れた空気の中で

私は、生きている。

こうして息をしながら・・・・。

フィットネスクラブからの帰り道、自転車を漕ぎながら空を見上げながら考えた。

灰色のどんよりした雲に覆われた3月の空を見上げて考えた。

・・・・不条理だと。

1ヶ月前に死んだ彼には見ることが出来ない、この日本の空を、

若い彼が当然体験すべき、この未来を、

私は、生きている。

ただ、漫然と・・・。

彼は、父親として子供と語り合う、十分な時間の権利を持っていたのだ。

彼は沢山の人から愛されるキャラクターの持ち主だった。私と違って。

そして彼には人を愛するための、沢山の時間が与えられていたはずだ。

・・・・本当に不条理だ。

奥さんに何かできることがあれば、遠路なく言ってくれとは伝えた。

でも、できることなんか何にもないんですよね。

こうして、彼のことを思い出すしかないんですよね。

奥さんのメールは、

「FirstLightさんもお身体、ご家族を大切になさってください。
また、ご迷惑でなければ、私共のその後(?)をお知らせしたく思います。」

と結んであった。

本当にしっかりした、物事をよく理解した人だ。

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