2012年5月29日火曜日

最前列物語

・・・・・・・っということで、わが国は民主主義国家だから、最前列は誰のものでもない。








誰が立ってもいいことになっている。







最前列のいいところは、インストラクターの動きが良く見えることだ。







だから、初心者に是非立ってほしい席である。







インストラクターも初心者に「さあ遠慮せずにドーゾ前へ」なんて言っているが、あれはウソである。







本心は、上手い人に立って欲しいに決まっている。







何故なら、インストラクターが手を抜けるのだ。







加えて、インストラクターが間違ったりド忘れしても、頼りになるからだ。







会員側もそのほうがいい場合が多い。







インストラクターが見えない後方からでも、上手い人が前でやっていればそれを参考に出来るからである。







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ぼくはどちらかというと最前列の左右端が好きだ。







単によく見えることと、2面に人が居ないためぶつかる心配がないからだ。







もちろん間違っても、後ろに迷惑がかからない。







そういうぼくでも、巡り会わせで最前列中央でやることもたまにある。







そのときのプレッシャーはとても大きい。







後ろの人に悪いから、間違っちゃいけないと緊張するのだ。







もう二度とやりたくないと思うのである。







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ところが、腕に覚えがある人(上手い人ね)は、好んで最前列に行きたがる。







既に述べた理由から、他の会員もそれに依存はない。







理想としては、「まん前が空いていますよ~」とインストラクターが会員達に促すシーンで、皆から押されて前に出て来る会員である。







ここに、民主主義の理想的な姿がある。







上手いからといって出しゃばらず、人間的にも好かれている人が最前列に立つ。







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ところがどっこい、それはあくまで理想で、現実はそうはならないのが世の常である。







まず、最前列の定員に満たないときは良いが、希望者が定員をオーバーする場合である。







要するに、上手いと自認する会員が空席を争う場合である。







ここで問題なのが、上手いかどうかが客観的事実ではなく、「自認」に係わっていることである。







最悪のケースは、体のでかいオッサンが、ホントーは下手なのに上手いと勘違いしているケースである。







しかも、こういうオッサンは例外なく周りが見えず、ずうずうしい精神の持ち主なのだ。







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この最前列物語を見るだけで、民主主義の本質とはどういうものかがとてもよく理解できる。







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蛇足:







もう一つ最前列物語に付け加えたいのは、いくら上手くても地元の会員が優先であることは論を待たない。







法律には書かれていなくとも、外部の者が地元民を優先するのは、マナーとして尊重されるべきである。

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