・・・・・・・っということで、カミサンの父親は小学校の校長だった。
亡くなってから、もう18年も経っているが、彼の書いた文章が出てきた。
「モコの想い出」という題名。
モコとは、カミサンの実家で飼っていた犬の名前である。
学校の随筆集か何かに載せるために書いたものであろう。
彼とモコ、モコと彼の孫、即ちぼくの長女の写真も付いている。
縦書きのワープロで、何てことない文章だ。
大正生まれの彼は、珍しく身長が180cmちょっとあった。
白髪の爺さんがぼくより背が高いのには、面食らった。
170cmのカミサンは彼の遺伝であることは間違いない。
彼は酒が一滴も飲めなかった。
だからという訳でもないが、最後までぼくは彼と腹を割った話が出来なかった。
癌で亡くなった。
最初、親指が腫れたので、大して気にもせず、医者にかかった。
それがどんどん膨れ上がり、切断しなきゃというまで大変なことになって入院した。
そのうち鼻の横に腫瘍が出来た。
小細胞癌?だったかな、進行の早いたちの悪い癌だった。
本人は最後まで、自分が癌だったことを知らなかった。
彼は、「極楽トンボ」というあだ名があるくらい、自分の好きなことをして生きた。
最後は、ラジコン模型飛行機に凝って、飛行機を組み立てては一人で多摩川に飛ばしに行っていた。
飄々とした感じで、人望があった。
ラジコン仲間で彼が会長に祭り上げられるのに、そんなに時間がかからなかった。
車の運転が好きで、カローラクラブの会長にも納まっていた。
色んなところで、すぐにまとめ役になってしまう。
そんなに、口数が多いわけでもなく、特にリーダーとしての指導力があるわけでもない。
ただ、人の嫌がることは絶対に言わなかった。
周りの人も、彼を上に据えておけば、誰からも文句は出ないだろうという、暗黙の了解があった。
不思議な人だった。
だけど、ぼくとは殆ど会話はなかった。
病院の彼を見舞いに行ったとき、
「本当に不思議な病気だ。原因がわからない。」と、彼が言った。
ぼくは、癌と知っていたので、なんとも説明が出来なかった。
すぐ顔に出てしまうタイプだから、余計つっけんどうな態度をとってしまった。
彼が亡くなったとき、若い看護婦が大泣きした。
・・・・・・
彼の書いた文章を読んで、なんでぼくは彼と心が通じ合わなかったんだろうと、改めて考えさせられた。
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