・・・・・・っということで、正月早々ややこしいことを考えています。
一昔に比べたら、通信手段は驚くほど発達しましたよね。
今メールといったら、手紙のことじゃないですよね。
電話といったら、携帯電話で、固定電話のことじゃないですよね。
このブログもコミュニケーション手段とも考えられる。
個人の書いたものを、不特定多数に発信し、その読者からコメントをもらうなんて、
新聞記者か、雑誌の記者しかできなかったことですよね。
・・・・・・
でも、通信手段は格段に進歩したけれど、本当のコミュニケーションは退化しているんじゃないかと感じているのです。
手紙を書くのって、それなりの覚悟がいりますよね。
書くためには時間がかかるし、文字だって気合を入れないといけない。
それだけ文面に、込める意味というものは、メールと比較にならない。
相手に届くまでの時間、相手の反応をあれこれ思いを巡らすことだってある。
返事が届くまでの時間、心ときめくことだってありますよね。
そういう、覚悟なり、気合なり、込める意味合いなり、ときめきなり、
そういう時間が心に与える効果って大事だと思いませんか?
そういう心への刺激って、心を豊かにするんじゃないでしょうか?
でも、メールだとそういう効果は少ない。
ただただ、便利だけれど。
だから、ラブレターをメールで書くことには多分、将来においてもないと思う。
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一方、電話はどうでしょう?
昔は電話をかけるといったら、固定電話、すなわち相手の自宅ですよね。
電話をかけるには、それなりの【作法】が必要だった。
本人が出るとは限らない。
電話を取り次いでもらうためには、相手の家族と「まともな言葉で」挨拶ができなければならない。
今はどうでしょう?
携帯は、最初から本人しか出ないのが分かっている。
掛けたり受けたりするときは、どこにいようがお構いなしだ。
極端な例、トイレの中でも会話できる。
作法なんて入り込む余地がない。
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でも、本当のコミュニケーションはできているのだろうか。
コミュニケーションとは、相手と自分の意思なり、考えなり、気分なり、気持ちなり、
キチンと伝え合えられて、はじめて成り立つものでしょ。
でも、メールや携帯電話で本当の気持ちが伝わるでしょうか?
何となく、十分伝わらないと、本当は皆、薄々感じているんじゃないですか?
不完全なコミュニケーション手段と知っているから、
伝えようとするする意思も、なんとなく手加減しているんじゃないでしょうか。
だから、会話が軽くなる。
・・・・・・
やはり、一番濃密なコミュニケーションとは、直接会って会話することでしょう?
相手の表情やしぐさを見、目の動きを見、生の声を聞く、
これらから得られる情報って、ものすごく大事だと思うんです。
本当の気持ちを伝えるには、会うのが一番でしょう。
大事なことを伝えるなら、なおさら会うべきでしょう。
・・・・・・
昔と比べて、何倍も文字でやり取りする。
昔と比べて、何倍も電話で会話する。
でも、本当の意味でのコミュニケーションって、退化しているんじゃないですか?
相手の気持ちが、ますます分かりにくくなっていませんか?
・・・・・・ってなことを考えたのです。
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